三国志っていつの話?
はじめに
みなさん、こんにちは!「三国志」って一体、いつ頃の話なのか、ちょっと曖昧…なんて思っている人も多いのではないでしょうか?今日は、そんな疑問にお答えしていきます!三国志の時代背景や主な出来事をわかりやすく解説していきますので、ぜひ最後までお付き合いください。それでは、約2000年前の中国へ旅立ちましょう!🚀
三国志の時代背景
後漢末期:動乱の始まり
三国志の物語は、実は後漢という王朝の終わり頃から始まります。具体的には、西暦184年に起こった「黄巾の乱」がその幕開けとなります。
黄巾の乱って何?という方のために簡単に説明すると、張角という人物が率いた大規模な農民反乱なんです。この反乱は、後漢王朝の弱体化を決定的なものにしました。
群雄割拠の時代へ
黄巾の乱以降、中国は群雄割拠の時代に突入します。各地の有力者たちが勢力を拡大し、互いに争い合う混沌とした状況が続きました。この中から、やがて三国時代の主役となる人物たちが台頭してくるんです。
重要な戦いと出来事
後漢末期には、いくつかの重要な戦いがありました。
- 官渡の戦い(200年):曹操が袁紹を破り、華北の実権を握りました。
- 赤壁の戦い(208年):孫権と劉備の連合軍が曹操軍を破り、三国鼎立(さんごくていりつ)の基礎を築きました。
画像引用:三國志11:【劇】シナリオ 官渡の闘い (gamecity.ne.jp)より
三国時代の始まり~魏・蜀・呉の建国~
では、いよいよ三国時代の幕開けです!以下、超ザックリとした流れです。
- 220年:曹操死亡。曹操の息子である曹丕が魏を建国
- 221年:劉備が蜀漢(蜀)を建国
- 229年:孫権が呉を建国
三国の国力は決して対等ではありませんでした。土地・経済力・人口などの総合的な国力を比較すると、おおよそ魏:呉:蜀 = 6:2:1 の比率だったとされています。魏は蜀の6倍!?
画像引用:「天下三分の計」の発案者は孔明じゃなかった!? | なんでも三国志 (daisuki-sangokushi.com)より
こうして、中国は魏・蜀・呉の三国に分かれ、いわゆる「三国時代」が始まったのです♪
諸葛亮の活躍
蜀の軍師として有名な諸葛亮。彼の活躍も三国志を語る上で欠かせません。227年に「出師表」を奉って魏討伐に乗り出した諸葛亮は、234年に五丈原で病没するまで、蜀のために尽力しました。
魏・蜀・呉の興亡
三国時代は約60年間続きましたが、最終的には、超ザックリお伝えすると、次のような流れで晋により統一されていきます。
- 263年:蜀が滅亡
- 265年:魏が滅亡し、晋が建国(司馬炎、即位)
- 280年:呉が滅亡し、晋による統一が完了(統一したのは、魏でも蜀でも呉でもない…)
画像引用:司馬炎 | 世界の歴史まっぷ (sekainorekisi.com)より
『三国志』と『三国志演義』の違い
前記事でも、少し触れましたが、『三国志』と『三国志演義』の違いを理解することは、三国志の歴史を正しく把握する上で重要です。
- 『三国志』(正史):3世紀に書かれた歴史書で、国家の正統を示す史書とされています。
- 『三国志演義』:14世紀に成立した通俗小説で、正史をベースにしつつ、フィクションを加えて物語性を高めたものです。
『三国志演義』は、正史の『三国志』に民間伝承や説話を加えて、より面白く読みやすくしたものです。例えば、関羽の顔が赤くなる過程を描いたり、諸葛亮が気球を作ったりするエピソードは、『三国志演義』独自の創作です。
*記載内容につきまして、歴史に諸説ございます。ご了承ください。
まとめ
三国志は、2000年近くの時を経ても、なお多くの人々を魅了し続けています。その理由は、単に戦乱の物語というだけでなく、人間ドラマや戦略、理想の追求など、普遍的なテーマを含んでいるからでしょう。歴史書としての『三国志』と小説としての『三国志演義』、両者の特徴を理解することで、三国志の世界をより深く味わうことができるでしょう🌟